最近、図書館で本を借りる習慣ができつつあります。

これまでは、仕事に関連する書籍は購入するようにしていました。それは、読んだ後も必要な情報が欲しいとき読み返せるし、読めなかったとしても、いずれ読みたいときにすぐに読めるから。けれど、専門書というのは非常に価格が高い。しかも、立ち読みですむ内容ではないから買うんだけれど、しっかりと読んでみると思っていた内容とは違っている場合もあり、そういう出会いは大事なんだろうけれど、そこに費やせるだけの金銭的余裕がなくなってきている悲しい現実もあり。そこで、自分の子どもが絵本を借りに行っているところに便乗して図書館に通うようになりました。

いいですね、図書館。タイトルや著者で気になるものがあれば、価格を気にせずに手に取ることができる。何を当たり前のことを、と思われるかもしれないけれど、当たり前のことの良さとか大事さを実感するタイミングは人それぞれで。自分にとって図書館が今それに当たるわけです。そして、無料だから、つまらなかったら途中で読むのをやめればよいし、面白かったら本当に買えばいい。その選択ができるのもいいところ。買って読まない罪悪感に苛まれることもないし、要らない本に本棚のスペースを割くこともない。

以前読んだ西野亮廣氏の「革命のファンファーレ」という本で、「人が動くときは確認作業でしかない」というような記述があり、なるほどそうだなと感じたのを思い出しました。ピカソとかゴッホとか教科書で見たことあるのに、わざわざ高い旅費を出して本物を見に行ったりというような話。アーティストのコンサートなんかもそうかもしれないですね。CDやDVD、最近はYouTubeでいくらでも見れるんだけど、本物を「確認」するため、生の声や演奏、雰囲気を楽しみに行く。

今読んでいる本は、

寺沢拓敬 著「なんで英語やるの?」の戦後史 <国民教育>としての英語、その伝統の成立過程

前から読みたかったのですが、ちょっと高くて手が出なかったのと、気合を入れないと読めない内容だとも感じていたので。やっと読み始めることができました。

が、やはり読み応えがあり、かなり時間がかかっています。。

「なんで英語やるの?」というタイトルにもなっている問いは、「なぜ日本人全員が義務教育において外国語の1つである英語を学ばなければならないのか、なぜ学ばなければならないことになったのか。」ということのようで。

結論を先読みしてしまうと、それは「たくさんの偶然が重なって、たまたまそうなった」ということのようです。なんとも意外な結論ですが、歴史を省みるとそういうことだったんだ、という感じですね。その結論に至るまでの過程を、もう少し深く読み込んでいきたいと思います。

それにしても、自分が英語教師として、「なぜ英語をやるのか?」という問いに対する答えは、今でも詰まってしまう部分があります。進学や就職に有利だとか、グローバルだ多様化だなんだとか、いろいろ言えはするんだけれど、その質問をする生徒に一番ふさわしい答えとしてはどれもしっくり来ない。どの答えも、英語に興味があり、将来英語を使って何をしたいと考えている生徒には納得できるものなのだろうけれど、そうではない、英語とは無縁の人生を送るだろう生徒たちに、どんな言葉が納得できるのだろう。

そんな悶々とした思いを持ちながらでは、失礼なので、せめて授業者としては、楽しく、それでいて英語に対して肯定的な姿勢をもってもらえるような授業を提供したいと思うわけです。

 

さて、図書館の話に戻りますが、地元の図書館では、2週間という貸出期間中に読みきれなかった場合は延長ができます(他に予約が入っていなければですが)。すでに延長中ですが、「なんで英語」の本はさらに延長しそうです。

 

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