2018年福井県英語教育懇話会シンポジウムで発表させていただきました。
テーマは「望ましい文法指導のあり方」です。
発表資料を共有させていただきます。
<追記>
シンポジウムの中で考えたことを書き留めておきます。
近年の英語教育改革の中で、4技能をいかに育成するかが話題となりがちで、
文法指導に関してはそれほど議論がされていないように思います。
コミュニケーション能力を!英語は使えるようにさせないと!授業は当然英語で!
それは、まあ理解できますし、これまでの授業批判も含めて振り幅大きくしないと
いけないんだろうなと思いますが。
自分の勝手な推測ですが、こういう雰囲気の中で、教員は3つのパターンに分かれるのかなあと。
パターン1「うんそうだよね。やっぱり使えるようにしないとね。そのためにコミュニケーションを支える文法も意味のある文脈の中でしっかりと指導しないと」
パターン2「いやいや、そうはいっても入試があるし、生徒の能力差もはげしいから、これまでどおりの指導を変えるわけにはいかないなあ」
パターン3「そうか!コミュニケーションだ!文法は、あくまでサブ的な扱いで、授業ではコミュニケーション活動をたくさんしてあげないといけないんだ!」
自分はできるだけパターン1に入っていたいなあ、と思うのですが、
初任者のころはモロにパターン3でした。そのために、英語に苦労した生徒がいたかと思うと
申し訳ない限りです。だって、いたるところでコミュニケーション大事っていうんだもん!
そういう意味で、今回のシンポジウムでは多くの先生方の文法に対しての考え方をお聞きすることができて大変貴重でした。
ただ、用語についは曖昧な部分もあったかなあと思います。
とくに気になったのが、「タスク」と「練習」という2つのワードです。
タスクに関しては、いつもあいまいになってしまう部分もあるので仕方のないことだと思うのですが。
私は今回タスクを「特定の言語形式を使わせることを意図しない課題」を1つの特徴として捉えていました。
focused-task とunfocused-taskというものもあるのですが、自分の中でそうすると訳がわからなくなるので。
フロアの議論では、タスクを「活動」として捉えていたり、「トピック」的なものと捉えていたり、「課題」だけれど、文法項目は当然意図するでしょうとい含意されているものがあったり。
もともと曖昧な概念ならば、今日は私はタスクを「これ」だと思って話します!と断る必要があるのかもしれません。
また、練習についても、意味のある繰り返しを練習と呼び、意味のない繰り返しは練習ではないだろうと思っている先生や、「活用」や「タスク」の活動中も練習と捉えることができるという意見、または、いわゆるコミュニケーション活動はたくさんやっているけれど、「練習」が足りていないと思っている場合。
どれも「練習」の捉え方の問題だと思いました。
「形式」の定着のためのドリルトレーニング活動なのか
形式を自分の文脈に落とし込んで使うトレーニングなのか
特定の形式の使用が意図されない場面で使えるようにするための実践的なトレーニングなのか
それぞれ呼称を変えるとよいのかもしれません。
そういうことを考えることにおいても、自分にとって有意義なシンポジウムだったと思います。
明日からまた頑張ろうー!